思考、試行、指向
2003年2月25日最近、森ミステリーに凝っている。というより森氏の文章中の考え方が非常に面白い。といっても他の人の文章などあまり読んだことがないので何ともいえないわけだが、多分自分が考えているから面白いのであろう。多謝
人間は思考する。それはある指向を持っているわけだがその指向は今までの試行の中で基づいた物であり思考そのものが指向になったわけではないと思う。と、何を言ってるのか自分でもわからない。つまり、自分は森ミステリーに誘発されてこんな文章を書いてみたりするのだが、その指向さえもわからないままである。いまいち。
とりあえず今思考していることは、人間の進化の指向、人を好きになる思考、客観視したときの自分の存在、などが言葉として認知される具体的(何処が具体的なのかはさておき)問題だが、解の存在自体不安定であって主観的な物だと今思った。つまり書いてる途中にまた訳がわからなくなるってことだ。
自分の頭脳が小説のようには行かないのは分かり切ったことであるが、それでもなお自分は「期待」や「未知」、「可能性」(いわば∞)という現在進行形の「無」(つまり0)を持って思考している。それに気づかないのが愚かなのか人間として賢いのかは定かではないけれどもそれでも自分という物(森氏は名前といったかな)が存在してこれたのだから気づかないと言うことが正解かもしれない。「あなたは人間ですか?」と問われたら自分はなんと答えればいいのだろうか。「ホモサピエンスです。」ぐらいのことかな。なにをいまさら。
人間はアナログでデジタルな存在だと思った。その関係はフーリエ変換みたいな物か。はたまた微分積分なのか。両方同じだった・・・。
人間は思考する。それはある指向を持っているわけだがその指向は今までの試行の中で基づいた物であり思考そのものが指向になったわけではないと思う。と、何を言ってるのか自分でもわからない。つまり、自分は森ミステリーに誘発されてこんな文章を書いてみたりするのだが、その指向さえもわからないままである。いまいち。
とりあえず今思考していることは、人間の進化の指向、人を好きになる思考、客観視したときの自分の存在、などが言葉として認知される具体的(何処が具体的なのかはさておき)問題だが、解の存在自体不安定であって主観的な物だと今思った。つまり書いてる途中にまた訳がわからなくなるってことだ。
自分の頭脳が小説のようには行かないのは分かり切ったことであるが、それでもなお自分は「期待」や「未知」、「可能性」(いわば∞)という現在進行形の「無」(つまり0)を持って思考している。それに気づかないのが愚かなのか人間として賢いのかは定かではないけれどもそれでも自分という物(森氏は名前といったかな)が存在してこれたのだから気づかないと言うことが正解かもしれない。「あなたは人間ですか?」と問われたら自分はなんと答えればいいのだろうか。「ホモサピエンスです。」ぐらいのことかな。なにをいまさら。
人間はアナログでデジタルな存在だと思った。その関係はフーリエ変換みたいな物か。はたまた微分積分なのか。両方同じだった・・・。
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