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一時間後の宇宙人
2003年2月28日今、自分は何を思うか。それは何の意味があるのか。そもそも意味なんてある必要は何もない。それは理屈であってポテトにふる塩みたいな物だ。ポテト本来の味かそれとも塩の味なのか、そんな物だ。
私は未来をおもう。自分自身の未来、他人の未来、空間の未来、時間の未来。そもそも自分で内部処理を行ったとしても自分の外層は何もoutputはしない。つまりは関数ではなくて手続きなのだ。それは一般的ではないだろうが、いま自分が思っていることはまさに自己満足。
結論は何も見いださない。ただそれを思った後の自分が思い始める自分と物理的に違う物であり、化学変化した有機体なのである。
自分が思っていることは、自分が人間として誕生した瞬間からinputされているテーマの一つだろう。創造か破壊か。それがどちらであっても人類という一つ(?)の生命体で考えるならば蚊に刺されたできもののような物である。全く馬鹿馬鹿しい。そして微笑ましい。
一時間後の宇宙人は何をおもうのか。その答えは二時間後の別の宇宙人が知っているだろう。
私は未来をおもう。自分自身の未来、他人の未来、空間の未来、時間の未来。そもそも自分で内部処理を行ったとしても自分の外層は何もoutputはしない。つまりは関数ではなくて手続きなのだ。それは一般的ではないだろうが、いま自分が思っていることはまさに自己満足。
結論は何も見いださない。ただそれを思った後の自分が思い始める自分と物理的に違う物であり、化学変化した有機体なのである。
自分が思っていることは、自分が人間として誕生した瞬間からinputされているテーマの一つだろう。創造か破壊か。それがどちらであっても人類という一つ(?)の生命体で考えるならば蚊に刺されたできもののような物である。全く馬鹿馬鹿しい。そして微笑ましい。
一時間後の宇宙人は何をおもうのか。その答えは二時間後の別の宇宙人が知っているだろう。
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