cool eyes cry night

2003年6月7日
「人間は常に人生の大きなドラマの中において聴衆であり、同時に共演者であって」 N. Bohr

私たちは今光に包まれている。
あらゆる光が混ざり合いそこに確かに存在し続けている。
しかし私たちが見ることができるのはその光自身ではなく、光の振幅と振動数だけである。
だから私たちは考える。光とは何か、
だから私たちは想像する。光の形を。
そして導かれた答えが光の二重性である。

私たちは今情報に包まれている。
あらゆる情報が重なり合い確かに存在している。
しかし私たちが知ることができるのはその情報事自身ではなく、情報の主観と伝搬だけである。
常に真実という過去は一つであり、また絶対である。
だから私たちは考える。情報とは何か。
だから私たちは想像する。真実の形を。

あなたは真実を見抜くことができますか?


これには多少誤りがある。
過去は人間に観察されるだけで相対的なものになってしまうという点だ。
客観というのは所詮主観の統計であり真実とはまた違ったものだ。

私の答えというのは、真実はない。
ただ統計から求めた近似式と情報によってもたらされる境界条件によって限定されるものだ。
故に真実というものは人々の主観という定数を含んだ無限個の解の集団だと考える。
もし神様という便利なものが存在すれば、神様が見る真実は、無限個の解のマトリックス(行列)だろう。


あなたは知らないだろうがあなたのために泣いている人がいるということは真実だ。

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