5月20日 雨、のちのち台風。
今日は僕の話をしよう。
僕は生まれも育ちも石川県金沢市。どうやら石川県の知名度は思ったより低く、あぁあの出っ張った所ね、などとよく言われたりするがそいつは石川県に失礼だとは思わないか?僕はあんまり思わないが。
で、家族構成は両親、祖父母、あと姉二人。姉のウチの一人は結婚して家を出て行ってしまったけど、なんだかんだ言ってよく家にいる。父親は会社を経営しており、僕は世間一般で言う坊ちゃんのようだ。初めての男児だったので多分に甘やかされて育ったというのは自覚しているが、そこまで凡々というわけではない。むしろ典型的な日本の中の上ぐらいの一般家庭。そして生まれたときからしゃべれたとかいう得意なこともなく、平々凡々と今まで生きてきた。
1つ人とは違うといえることは、一度事故で死にかけたことぐらいである。中学2年の頃、僕は部活の帰り道でトラックに轢かれたようだ。全然記憶がないのだが、医者に言わせるとあまりのショックで自分の記憶を改竄したのではないのかとか。そんなことをいわれても、覚えてないものは覚えてないし、ましてや思い出したくもない。そのとき、僕は左半身と頭部をひどく打ったらしく、何でも奇跡的に助かったらしい。ゴットハンドの人ありがとう。その時以来、僕の左腕には今でも消えない痣が残っている。手術の痕や、事故の後遺症はいっさい無いのだが、その痣だけがくっきりと今でも残っている。その痣は数字の8のようにも見えるし、ギリシャ文字のシータのようにも見えるし、横から見たら無限大のような形をしており、どうしてこんな痣が残ったのか見るたびにいつも不思議に思う。そんなときはまぁ車のシンボルか何かだと結論づけることにしているが、未だに不明だ。
高校時代は、やっと恋人という人が出来た。中学時代にも仲の良かった女の子や、手紙をくれる女の子も何人かいたが、事故のお見舞いとか励ましだろうと思っていたし、家の姉二人にいじめられて女の人は恐怖の対象だったのだ。初めて会った頃は普通の友達感覚で仲良くしてたんだけれども、告白されて、さすがの僕でも少しは興味があったらしく、つきあい始めた。まぁその子とも半年ぐらい一緒にいたけれども、どうやら僕は熱しやすく冷めやすい性格らしく、あっさりと興味を無くしてしまった。泣かしたなぁ。我ながらひどい奴だ。
あとは至って普通の高校生活、そして成績は、過大評価して中の下。そんな感じで大学にもギリギリ受かって東京生活、今や22才。いい歳だなぁ。
最近といっては年月が経ちすぎだけれども、2年前頃から記憶があやふやというか、とぎれることが多くなってきた。なんだか知らない人からよく声をかけられるようになったし、部屋の中に僕の知らないものが増えていることもよくあった。っていうか僕が忘れているだけからかもしれないのだけれども。
あとはこの前いったように、不真面目ふしだらな怠け者性格、そして留年決定の大学4年生。そんな感じで今日も10分ほど遅刻して、至って変化もない大学生活を送っています。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この物語は、フィクションです。絶対フィクション。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索